ラッキーが亡くなりました
2024 年 1 月 15 日午前 4 時 22 分、大切な家族であるチワワのラッキーが 18 歳と 5 ヶ月で亡くなりました。
今は亡くなってから 2 時間半ほど経ったところでして、今は隣で寝かせつつ、ブログを書いています。
ということで気持ちを落ち着かせたく、当日のことを後で思い出せるよう、当時の思い出から亡くなるまでの経緯などを書いていこうと思います。
今回だけは名前のラッキーで書いていこうと思います。
ラッキーがうちに来たのは 7 年半前のゴールデンウィークくらいでした。
そもそもなぜうちに来たかと言いますと。
今でもはっきりと覚えていますが、前の奥さんと同棲するにあたり、不動産屋で「どんな条件でお探しですか?」と聞かれた際に前の奥さんが自分に「うちの犬も連れていきたいんだけど…」とその場で言ってきたことが、ラッキーとの始まりでした。
自分は正直ペットを飼うということに、比較的苦手感がありまして。
1 つに、実家で飼われていた外飼の犬はまったく懐かず大暴れで、悲惨な最後を辿っていたこと。
もう 1 つに、亡くなることを考えると、どんなに可愛くて楽しい生活を送っても最後はほぼ先に亡くなってしまい、必ず最後は悲しくなること。
この 2 つの理由で少しだけ悩んだのですが、当時大好きだった元奥さん当時彼女さんのお願いと言われてしまっては、首を縦に振るしかありませんでした。
そこからなんとかマンションを決め、自分が先に引っ越し、その後元奥さんがラッキーとともに実家から越してきたんですが。
まーこの子のかわいいことかわいいこと、うちに来て 3 ヶ月後には 11 歳になり、すでに初老ではあったのですが。
それでもめちゃくちゃ可愛かったです、当時写真や動画を山程撮っていたので、今でも見返すことができます。
一緒に散歩に行って公園で遊んで、幸せの絶頂でした。
そこから前の奥さんの障害の関係で、少しずつ関係性に溝ができていったのですが。
間にラッキーがいることでいつもギリギリのラインで話が終わっていたような気がします。
ここから今日に至るまで 5 回か 6 回ほど引っ越すことになり、ラッキーを振り回してしまったことは本当に申し訳なかったなと、当時から思っていました。
今に至るまで、自分は本当にラッキーのことを溺愛していました。
室内犬で、オスということもあり、そこまで自分には懐かなかったけれども、それでもとかく可愛かったです。
14 歳くらいのときに、とある朝、起きたらラッキーがぐったりして元奥さんに抱き抱えられていました。
前の奥さんから「ラッキーが元気ないんだけど、どうしよう」と慌てていたので「すぐに病院に行こう!」と言い、即病院に行きました。
で、確か当時もブログに書いたと思うんですが、確か内臓のどこかがかなり悪くなっており、即手術をすることになりました。
成功率は 6, 7 割ほどとのことで、年齢もあり死亡するリスクも多少あったのですが、病院の先生の腕もあり、手術は大成功に終わりました。
その際、体内の癒着がすごかったとのことで、食塩水で体内をしっかり洗ったとのことで、ここらへんも 18 歳まで生き延びられたきっかけだったと思います。
この子はうちに来るまでまったく病院に行っておらず、うちに来てから病院に行き始めたのですが。
心臓が少し良くなく、クッシングも持っており、決して良い状態ではありませんでした。
それでも毎日毎日自分と元奥さんで薬をあげ、たくさん遊んであげ、よく寝かし、本当にラッキーが中心の生活を送ったことも長生きに繋がったと思います。
一昨年の 11 月末、前の奥さんから離婚してほしいとの話を受けました。
理由についてはこのブログにも書いてきたのでここには書きませんが、そのときに一番に思ったのは『ラッキーの気持ちは?』でした。
ラッキーは前の奥さんのことが大好きで、結果的にもっとも長い時間ともにした人でした。
で、前の奥さんはラッキーを連れて行くつもりだったんですが、金銭的な面、時間的な面、趣味やプライベートを踏まえると、ちょっと厳しいんじゃないかと。
その後この 1 年は諸々色々とあったんですが、最終的には自分と 2 人暮らしすることになりました。
ただ去年の春先から腎臓の数値が悪くなっており、3 日前の発作が起きるまでは以下のような生活になっていました。
- 1 日 2 回 12 時間ごとに数種類の薬の投与
- 1 日 1 回点滴 200 ml
- 1 週間に 1 回別の注射
- 強制給餌
- ラッキーにかかる費用は諸々合わせ月 10 万円を超えていた
6 月にマッチングアプリを通じて彼女ができたんですが、9 月には別れており、それも精神的に結構きていました。
この 1 年は本当に本当にきつい 1 年だったんですが、ラッキーの存在は本当に大きかったです。
昨年の 12 月末に一度痙攣が起き、その際は 2, 3 分で落ち着いたので病院に向かわなかったのですが、結果的にはこれがもっとも大きな判断ミスだったと思います。
そこからラッキーは少しだけ首が曲がった状態になり、意識も少し混濁しており、10 日ほど前にはついに歩くこともできなくなっていました。
さらに 3 日前に 2 度目の痙攣が起き、病院に向かったんですがかなり厳しいとのこと。
その日は入院を決断したんですが、入院中に 3 度目の痙攣。
先生がたまたまおられたのですぐに処置をしてもらったんですが、そこから意識はずーっともうろう状態に。
一昨日は午前に様子を見に行き、安定しているとのこと。
午後には退院するために迎えに行き、血液検査の結果はそこまで悪くないとのことでした。
おそらく脳がダメになっているとのことで、血糖値が著しく低く、ここが戻らないと今日明日とのことでした。
そこから徹夜で鼻のカテーテルから砂糖水や液体のご飯を流し、少しだけ口から飲むこともできたのは忘れられません。
一昨日から昨日の夜をなんとか乗り越え、呼吸も安定しており、午後にもう一度病院へ。
血糖値がまさかの正常値に戻っており、他の数値はダメだけどまだ希望は見えるとのことで、また一週間後にお待ちしていますとの言葉をいただきました。
ただ帰ってからは少し呼吸が荒く、夜に鼻掃除をしてあげると呼吸が少し穏やかになったんですが、午前 4 時、明らかにおかしい。
水と砂糖水を鼻からやり、ご飯を流し込んでいる途中にビクンと身体が跳ね、これはダメだなと。
元義理のお母さんにすぐに連絡し、ビデオ通話を流しつつ、自分に抱えられながら 4 時 22 分、逝ってしまいました。
実は昨年離婚してから密かに決めていたことがありまして。
昨年 1 年は友達を増やそう!という目標を立てていました。
で、ぼちぼちいろんな行動をした結果、本当に僅かながら信頼のおける友人が何人か作れていまして。
ここ数日は地元の友人が昔ながらの友人、昨年できた友人に何度も通話に付き合ってもらい、心の負担の軽減に付き合ってもらっていました。
本当に自分が友人に恵まれているなと、今週末や来週は会っていろいろと付き合ってもらう予定です。
ラッキーが亡くなったにあたり、1 つだけ大きな心残りがありまして。
それは前の奥さんのことで、どうしてあと 1 年離婚を遅らせられなかったかなと…。
当時も何度も話したんですが、ラッキーは高齢で前の奥さんのことが大好きで、じゃあせめて最後を看取ってから別れようじゃないかと。
でも前の奥さんは、ラッキーの気持ちより自分の気持ちを優先してしまい、そこが本当に残念でした。
ラッキーは 17 年付き添った前の奥さんとはじめて離れ離れになり、最初の方は本当に寂しそうにしていました。
途中からはある程度吹っ切れたようにも見えたんですが、多分心のなかではずーっと寂しかっただろうなぁと、本当に申し訳ないことをしました。
今も隣で寝ていますが、今朝まではかなり意識が混濁していたこともあり、今も行きてるんだか死んでるんだか、あまり実感が湧きません。
とはいえ死後硬直で身体がカチカチになっており、さっき抱っこしたらこんなに固くなるのかと、少し驚きました。
久しぶりにしっかりと抱っこでき、少し嬉しくなりました。
明後日の午後火葬することも決まり、ラッキーとの生活もあと 2 日ほどで終わりを迎えます。
今は冬ということもあり、暖房をつけなければそこまで腐敗も進まないだろうと、リビングで寝かせています。
もうこの子が目覚めることはありませんが、あと 2 日ほどしっかりと付き添ってあげたいと思います。
見ている人はあまりいないと思いますが、インスタグラムの更新はここで終わろうと思います。
また再開するとしたら別のアカウントで、あのアカウントはどうしましょうかね。
まったく消すつもりもないんですが、うーん。
多分これから少しずつ悲しさや喪失感が湧き上がってくると思うんですが、このペットロスは時間が少しずつ癒やしてくれると思っています。
数年前に父がたのおばあちゃんが亡くなったんですが、おばあちゃんには申し訳ないこと承知の上で、身内の死の経験があったことは本当に良かっtです。
あとこんな書き方も絶対に良くないとは思いますが、コロナのおかげでリモートワークができ、ここ 3 年ほどは本当にずっとラッキーと一緒にいれました。
おかげで自分だけでも最後までずーっと一緒にいれたことは本当に良かったなぁと。
最後に、比較的そこまで苦しまず逝ってくれて本当に良かったです。
本当にそれだけで、自分が救われる部分は大きかったです。
これからの自分がどうするかは今のところまだまったくわかりませんが、10 年ぶりくらいに本当に 1 人になってしまいました。
やっぱり 1 人は寂しいですが、また少しずつ元気を出して頑張っていこうと思います。
とはいえまずは火葬して、遺品整理して、区役所に届け出て、
最後に、ラッキーとの 7 年半におよぶ生活は本当に本当に本当に楽しかったです。
間違いなく世界一かわいい我が子でしたし、自分もいずれ同じところに行くと思いますので。
今まで本当にありがとう、ラッキー。