おとなになるということ

2019-03-19

ふと、人間、歳を重ねれば重ねるほど人から怒られなくなるなぁ、と。

30 を目前にして、すでに人から怒られたり、注意されたり、指摘されたり、そういう機会が本当に少なくなっていると感じました。

ましてやフリーランス、職場で自分が間違ったことをしていたとしても、周りからは指摘しづらい状態だよなと。

家は家で、一緒に暮らしているのは 5 歳年下の嫁と犬だけ、たまに多少の指摘はあるものの、きついことはあまり言われません。(日常的に指摘ばかりされてたら、それはそれでどうかと思うけれど)

で、なんでこんなことを思ったかというと、自分の父親は、まさに裸の王様のような人だったなと。

来年定年を迎えるのですが、大学卒業からずっと小学校の教員を勤め上げた父親、そのこと自体はすごいことだと思います。

教員という職業柄、コミュニケーション能力という面については秀でた部分があり、人望もある程度厚かったように見えました。

ただその半面、母親や両親、息子たちに対する態度については、かなり疑問が残る人でもあります。

これまた教員という職業柄なのか、自身の考え方が正しいと信じ込み、その考え方にそぐう生き方をすると、否定してくるその姿。

60 を目前にして、昔から変わらないその人間性には、ある種感動さえ覚えてしまいます。

で、なんでこんなのになっちゃったのかと考えると、田舎暮らし田舎勤務という土地柄もあり、流行り廃れに鈍い部分も多いに影響していると思います。

それに加え、教員という職業を全うし、近年は小さい田舎の小学校ながら、校長にまで上り詰めたゆえの、凝り固まった人間性も大いに影響しているのかなと。

まぁつまり何が言いたいのかと言うと、自分も少し気を抜くと、自身の過ちを訂正できない、恥ずかしい人間になっちゃうぞってことです。

きちんと謝れる人間でありたい、そこに変なプライドを持ってはいけない。

多様性を認め、己の生き方、考え方を恥じれる、そういうものに、ワタシハナリタイ。

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